“どうせ私なんて”という名のミイラ
まだいる。
でも外在化できた。
拗ねていい。落ちていい。
でも、
そんなことしても、しなくても、
わざわざ悲劇のヒロインしなくても、
私は愛していい、自分を。
幸せを、上機嫌を、
発したいのだ。
ミイラは、ミイラ取りが、
ミイラにならないように、
うまい付き合い方を教えにきてくれてるのかもしれない。
母の怨霊(あくまでも象徴としての言葉で、母=怨霊では、ありません(笑)なんでも劇落ちしそうになると母の育て方に結びつけてやっぱりダメだと自分を責めて逃げようとする思考のパターンのことです)とのお付き合いは、究めて順調で、落ち込みと怨霊は結び付かなくなっているのだから。
紐付けしない回路、を、意識すれば太くできるのは、母のことで実証住み。
ならば、
どうせ私なんて、も、そうできるはず。
そして、誰かの承認なんてなくたって、
私が私を愛して良いのだ。